ものごとの「認識力」を高めて、会話力だったり思考力を高める目的で雑記ブログを書き始めて1ヶ月ほど経過した。
ほぼ毎日2000文字近く書いてます。
トレーニングを始めた最初の頃は、会話シーンで言葉がすらすらと出てきてものすごく効果を感じていたが、最近少し効果の実感が薄れてきた。
かつては「書くこと」について何冊も読み漁っていたので、認識力を高めるための文章の書き方をはっきりと意識できていたが、最近は漫然とただ書いている傾向が強い。
この記事では、改めて、認識力や会話力や思考力を高めるために文章を書いている人間は、「どのように」書くと効果的かについて考えていこうと思う。
まず第一に
・問いがあること
これがかなり重要である。
YouTuberのヒカル曰く、会話力を磨くためには「さまざまな問いについて自分なりの答え」をもっていることが非常に重要とのことだ。
また、齋藤孝氏も著書の中で、問いに対する答えを述べる、という文章スタイルを推奨(もしくは単なる提示)していた記憶がある。
もちろん、問いといっても、「愛知県の県庁所在地はどこだ」みたいな、ググれば答えが出る問いはよくない。
「答えのある問い」ではなく、答えのない問いについて考えることが、思考力の向上につながるわけだ。
例えば本記事であれば、
認識力や会話力や思考力を高めるために文章を書いている人間は、「どのように」書くと効果的か
という問いを冒頭で立てている。
これは著名人がいろんな見解を出していたり、科学的に検証されうる問いなので、完全にオリジナルの思考をゼロから構築していくような性質の問いではないため、悪い問いでもないがものすごく良い問いでもない。
僕が考える、文章トレーニングをする上での良い問いかけとは、たとえば
・正論を言われても素直に聞き入れられずに腹が立ってしまう時はどう自分の感情をコントロールすべきか
・人が生きる理由は何か
・今を大切に悔いなく刹那的に生きるべきか、将来に備えて我慢・努力すべきか
・他人に口喧嘩で負けてしまうが、どうしたら気にせずに過ごせたり、口喧嘩に勝てるようになるか
というような、なかなか調べても答えが出てこない、ある種哲学的な問いかけである。
こういった問いかけを、誰しもふとした瞬間に考えることがあると思うが、頭の中での思考には限界があるので、書いてより深く、より精緻に掘り下げると、思考力や認識力、ひいては会話力につながるわけだ。
続いて、認識力や会話力や思考力を高めるための文章の書き方として
・比喩を多用すること
があげられる。
トーク力の高い人を思い浮かべると、得てして比喩がうまい。例えば島田紳助、くりぃむしちゅー上田、YouTuberヒカルなど、明らかに一般人よりずば抜けて比喩が上手い。
聞き手にとって納得感のある比喩を会話で使えば、会話がおもしろくなるし、弾む。
そして、カリスマ性の高い人は比喩が上手いと聞いたことがある。YouTuberのDaiGoがいっていたような。(違ったらすみません…)
比喩の能力が高いことで、周りから「会話の上手い人」として一目置かれるというのは経験則からしてもほぼ間違いなく確かだろう。
一方で、比喩表現は、意識的にトレーニングしないとかなり難しいと思っている。
天才的な一部の人をのぞいて、比喩の技術を学び、実践しなければ、身につかない。
それも一朝一夕に身につくような代物ではない。
野球選手が日頃から素振りをするように、会話の上級者(プロ)を目指すものであれば日々の文章トレーニングで比喩を鍛えるべきである。(野球の比喩を入れてみた)
比喩が上手でなくても、おもしろくなくてもいい。
まずは「何かに例えてみよう」という心構えを当たり前のように身につけていくことがポイントだと思う。次第にその姿勢が会話の中でも出てくるようになるはずだ。
最後に、
・エッセイ形式で書く
ことがあげられる。
エッセイとは「実際に起きた具体的エピソードをつづったうえで、それに対する感想を書くもの」らしい。(確か齋藤孝さんがこう定義していたはず)
認識力や会話力の高い人は、ただ自分の思考を表現することがうまいだけでなく、事実を的確に描写することもうまい。
そしてその描写の解像度が高いことが、認識力や会話力の証左でもあるだろう。
「話がわかりにくい」ひとが、会話上手なわけがない。もちろん、認識力が高いわけもない。
そのため、まず実際に起きたことを簡潔かつ的確に文章で伝え、そのうえで感想を書くことがいいトレーニングになるだろう。
そしてその感想の中で、前述の「問いかけを行う」「比喩を駆使する」ような構成にしていくと、めきめきと会話力や認識力、思考力が身についていくと確信している。
今日も、2000文字近く書きました。
日々継続なり。
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