夜型人間の生きづらさと葛藤

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本日は2023/7/23。日曜日。土曜日の次に素敵な日だ。

僕は自営業だけど、仕事は主に平日に行なっているので、土日は休息できることが多い。(ゆるゆると仕事してるんだけど)

 

ただ今週は、土曜日までがっつり仕事をしてかなり疲れていたこともあり、今日は疲れ果ててがっつり昼寝をしてしまった。

昼寝ってなんであんなに気持ちいいんだろう。

 

不眠症の僕は、夜に寝付けなくて困ることが多い。

宇宙が誕生した理由や、自分がどう人生を歩むべきか、という答えのない問いが延々と頭を駆け巡る。

脳はどんどん活性化する。電気信号が飛び交う。次第に目が冴えていき、寝れない数時間を過ごす。

 

でも、昼寝は別だ。ベッドに入った瞬間に多幸感に包まれて、一瞬で寝られる。

根本的に夜型の人間なんだろうか。夜はどれだけでも起きていられるのに、昼は全て忘れて寝てしまいたい衝動に駆られる。

 

夜型の人間って、生きづらいんじゃないかと最近思う。

社会は当たり前のように昼型・朝型人間に合わせて設計されている。

例えば寝坊して朝9時に出社していなければ、なぜ起きられないのか?という目で見られる。だらしのない人間という烙印を押されるわけだ。

そんな社会で、夜型人間が快適に生きることは難しいだろう。

夜型の人間は、会社に属して幸せになれるようなタイプではない。

 

人類の進化を考えても、夜型と朝型に分かれているのは妥当だと思う。

人類という種を守り、発展させていくためには、24時間体制で自分の国や城や街を守り、開発していく必要がある。

そうなると、全員が同じ時間帯に活動せず、シフト制のほうがよい。自然と、夜に活動する人間も必要となる。

 

おそらく、夜型人間の僕の先祖を辿っていくと、夜の8時くらいに妻に別れを告げて家を出て、夜道を歩いて城主のいる城に向かい、城主に『この城の安全はお前にかかっている』と叱咤激励された上で、夜通し門番の仕事をまっとうしていたのだろう。

僕の先祖のおかげで、その城および城下町の安全は守られ、若者同士が恋に落ち、子供がスクスク育ち、今の僕たち人類まで命のリレーが続き、楽しく人生を送れているというわけだ。

そう考えると、夜間警備員だったであろう僕の先祖に、足を向けて寝ることは僕はできない。(もう先祖は地球上にいないので『宇宙に足を向けて逆立ち状態で寝ることはできない』という意味)

 

夜型人間なのに、おかしなことを言うようだが、僕は日光が大好きだ。

日がさんさんと降り注ぐ公園でパンを食べたり、鳩と戯れたりすることは僕にとってこの上なく至高の瞬間である。

日光を1日浴びずに過ごすと、翌日露骨にメンタルの調子が悪い。

メンタルの調子が悪すぎて、二十歳前後のころの、調子に乗りに乗った、傍若無人な自分の振る舞いを思い出してウワーッとなってしまう。

そして時には、家の横を救急車が通るだけで「うるさいなぁ、体調崩すんじゃないよ…」と悪態をつく誰からも愛されないゴミ人間になってしまう。

 

夜型人間の生きづらさとは、単に社会不適合性が強いからだけではなく、日光を浴びられないということもある。

日光が出ている時間帯に、遮光カーテンを閉めて、すやすやと夢の中の世界で遊んでいるのだ。

そんなことでは、脳内幸福物質のセロトニンが一切生成されず、自己嫌悪と不幸感と他人への悪意に満ちた極悪人が出来上がってしまう。

 

夜型人間が日光を浴びつつ生きたければ、常軌を逸した生活リズムで生きなければならない。

朝の数時間日光を浴びて、昼過ぎに3時間ほど寝たらまた起きて夕日を拝み、それからまた4時間ほど寝て、深夜の時間を満喫する、みたいな。

どう考えても、人生ハードモード。

 

まぁでも、夜型人間はそんなことは百も承知。

どれだけ不利益を被ったとしても、夜に目が冴えてしまうし、なにより深夜帯のワクワクした時間だけは、誰にも邪魔されずに満喫したい。

深夜に真っ暗な部屋でパソコンにふけり、深夜のコンビニで立ち読みして、すき家の牛丼を食らいたいのだ。

 

もう、どうしようもないね。笑

 

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