「努力する人」よりも「楽しむ人」が成果を出すらしいけど、仕事なんて楽しくなくね?って話

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今日以下のツイートを見た。

 

端的に内容を書くと

「同じ努力でも、苦しみに耐え抜いた努力は実らない。自分がハマっていて楽しくて苦痛に感じない、努力とも言えないような努力こそが、実るんだ。」

といった趣旨の内容である。

 

じつは、紀元前5世紀ごろに、同じ内容の言葉を、中国でもかの高名な孔子が語っている。

「天才は努力する者に勝てず、努力する者は楽しむ者に勝てない」

2000年以上前から言われているこの言葉が残り続けているのも、みんなうすうすそうおもってるからだろう。

 

こういう『好きこそ物の上手なれ』的な考え方は、時代を超えた真実と考えてもいいだろう。

 

それでもひとは、なぜかこの真理を見失いがちだと思う。

例えば

「苦しんだ先に栄光がある。」

「石に齧り付いてでも努力を続けるべきだ。」

「作業を楽しめているうちはまだまだ二流。」

みたいな、成功を求めるものには苦行が必要であるような趣旨の発言をチラホラ聞く。

 

これも、部分的には正しいと思う。苦しんで努力して、辛い日々を乗り越えて、自分との戦いに耐え抜いた上で成果を出す人はある程度いることは疑いようもない。

 

だけど、みやぞんや孔子の発言の趣旨は、苦しんで努力する人間よりも、楽しんでいる人間の方が『より一層』成功しやすくて、努力が実りやすい。そんなニュアンスなのだとおもう。

『より一層』というところがポイントですね。『比較的』といってもいいかもしれない。

 

大谷翔平が、前代未聞の野球星人になる上で、野球をやめたい気持ちを抑え込んで苦しみながら猛烈なトレーニングに耐えたような印象はない。

大谷翔平の発言からは根本的に野球がとにもかくにも大好きに見える。野球で成果を出すための努力を苦痛だと思ってるようには受け取れない。

もちろん彼の人生振り返れば嫌なこともあった可能性はあるが、圧倒的に野球好きなのは間違いないといっていいだろう。

 

そして、ほとんどのひとが、改めてこのように言われるまでもなく、自分が好きで仕方ないことに出会い、毎日それに打ち込んで幸せな時間を過ごしながら、圧倒的な成果や成功を手に入れたいと思うはずだ。

しかし改めて周りの人を見渡してみると、そこまで本気で打ち込めるようなことにも出会っておらず、ただ漫然と好きでも無い仕事を日々こなし、好きでも無い勉強をして、好きでも無い資格をとり、好きでも無い人と、好きでも無い会社で、人生の大半を過ごしている人が多いんじゃ無いだろうか。

多くの人が月曜日を憂鬱に感じ、やれ華金だ、GWだと舞い上がっているのが十分な証拠だろう。誰も口に出さないだけで、ほとんどのひとが「全然好きでもなんでもない仕事」を無理やりこなす人生を送っているといっていいだろう。

 

それはなぜか。真剣に向き合ってみたい。

なぜならぼくも他ならぬその一人だし、正直にいえば大して好きではないプログラミングに日々取り組んでいて、自分が思い描くような成果を十分に得られているわけでは無い。(まぁ比較的満足はいっているが、まだまだ十分じゃ無い)

 

好きなことに打ち込んで、楽しみながら人生大成功する、そんなことって可能なんだろうか。

 

まずそれを考える上で一つの思考実験をしてみたい。

『寝ること』が大好きな少女は、『寝ること』にひたすら取り組み続けて大成功できるだろうか。

 

・・・・・・

 

考えるだけ時間がもったいないレベルの愚問ですね。毎日好きなだけ寝ていて成功できるわけない、といっていいでしょう。

 

では、『肉を食べること』が大好きな少年は毎日楽しく『肉を食べること』を続けて大成功できるだろうか。

これも、否ですね。

 

となると、好きなことに打ち込んでいるだけでは成功できないということになる。

 

でも

『寝ること』が大好きな少女がもっと快適に寝るために『究極の寝室づくり』にこだわって、枕やベッド、照明、空調設備を自分で作り始めてしまったらどうだろうか。

商品が人気を得て大成功する可能性ってありますよね。

 

『肉を食べること』が大好きな少年が、最高の肉料理を作るために料理人になったり、畜産農家になったりしたら、大成功する可能性ってありますよね。

 

やはり現実は甘くなくて『好きなこと』をとことん追い求めるだけではダメですよね。

成功するには、『究極の寝室』や『最高の肉料理』を提供するところまで漕ぎ着けないといけない。

言い換えると『好きを突き詰めて、他の誰かが欲しがるレベルのものを提供できるようになる』ところまでいけば、成功につながるかもしれない。

 

『好きなこと』がある場合は、その好きなことに取り組みながら、『他の誰かが欲しがるレベルのものを提供できるか』というちょっとしたそろばんを弾いておくと、成功に近づけるんじゃなかろうか。

そう、『好きなこと』がある場合は。

 

そこまで人生を賭けて打ち込める『好きなこと』が見つかっている人って、そりゃ当然幸せだし、成功も掴みやすいだろう。

でもそんなひとってごく一握りでしょう。

なんとなく義務教育を受けて、なんとなく大学や専門に行ったり、手頃な会社に入ったりして、人並みに漫画や映画を楽しんで、人並みに飲みに行って、人並みにぐうたらゴロゴロサボっている人間が大半なわけで。

 

大事なのは、僕自身も含めた、人生をかけて取り組める『好きなこと』が見つかっていない人が、どうやって楽しみながら成功していけるかだ。

いま取り組んでいる仕事や、興味のあるビジネス、もしくは勉強だったり趣味などのあらゆる物事を、いまいち全力で好きになれてない人が、どうやって楽しむのか。

僕はここを深く考えたい。

 

メラトニンを飲んだせいで以上な眠気が襲ってきているため、またの機会に改めて書きたいが、ぼくは『取り組む仕事をゲーム化する』ことが一番のポイントだと思っている。

仕事や勉強をゲームのように捉えて、小さな目標達成を目指してゲーム感覚で取り組めるか。

 

誰に頼まれてもないのに、貴重なお金を払って時間を投下して『スライムを倒して、経験値を積んで、ボスに挑む』というゲームをする人は多い。

RPGゲームに限らず、ツムツムだったり、将棋だったり、サッカーだったり。ゲーム性のあるものに人はのめり込むしハマる。

 

だったら仕事や勉強もそう捉えるように工夫したら良いのではないか。

それができたらめちゃくちゃ人生好転しそうだぞ。

 

というのが僕の今の意見というか仮説なので、じゃあ実際にどうやったらゲーム的に捉えられるのか、だったり、その結果本当に成果が出るのか、という部分は、これから検証していこうと思う。

 

ではでは。

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