「気分が落ち込んでいる時にしか巡り会えないもの」に気づいた話

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イタリアから帰国後、数日にわたって時差ボケが続いたことで、まともに夜に寝れていませんでした。

そのせいで、日中ずっと眠いという状態が続いていました。

平時、私はリモートワークなので、ただでさえあまり家から出ないです。

それに加えて、日中のあまりの眠さから、全く外に出ない状態で家に篭り続ける数日間過ごしていました。

日光を浴びずに、まともに運動もせず、ろくな睡眠をとっていない日々が続いていたというわけです。

 

そんな暮らしをすると、人間どうなるか。端的に言えば、気持ちが病みます。思いっきり、病みます。

いままで、大して不安に思ってもなかったようなことが急に不安に感じたり、過去の自分の愚かな行いが思い出されて赤面していたたまれない気持ちになったり、生きている意味がわからなくなったり。

いろんな形で、自分の内外に潜む闇の部分が、襲いかかってきます。

 

そんなメンタル状態のときに、人はどんな行動を取るのでしょうか。

ある人は酒を飲み、ある人は知人に電話をし、ある人は思いっきり泣くことでしょう。

僕は、ひたすら本とインターネットに、今の自分を救ってくれる「知識」と「知恵」を求めました。

インターネットで「生きている意味 わからない」と検索窓に打てば、それっぽい答えがずらっと並びますし、病んでる人に向けた「頑張らなくていい」「ポジティブシンキングのすすめ」「孤独に耐えよ」的なメッセージを伝える本は山ほどあります。

そういったものをひたすら探し求め、読み耽っていました。

こういう時間が生産的なのかそうでないのか、僕には判断ができませんが、人生の中でたまにはそういう時間があると、平時には出会えない知識や知恵に出会い、新しい価値観や視点といったものが自分の中に芽生えるもので、こんな時間もあっていいのかなと思います。

 

そこで、僕は出会いました。アラサーになっても中身は思った以上に少年で、まだまだ脆くて弱い僕が、心に染みるいくつかの言葉に出会いました。そしてその言葉は同じ人物から発せられたものでした。

日頃、そんじょそこらの言葉では心が揺れ動かなくなってきたはずの僕が、顎にパンチをクリーンヒットされたようにぐらついた、いくつかの言葉。

僕の漠然とした不安をそっと和らげてくれる言葉。座右の銘というとなんか安っぽく聞こえる。僕の人生と心を支えてくれる言葉という方がしっくりくる。そんな言葉に出会えました。

正直、楽しい気分の時に出会っていても気にも留めなかった言葉かもしれないです。こういう「自分を強く支えてくれる言葉」って気分が落ち込んでいる時にしか巡り会えないんだと思います。

 

その方は、1909年2月3日に生まれ、1943年8月24日(享年34)に亡くなったフランスの哲学者、Simone Weil(シモーヌ・ヴェイユ)という方でした。

 

↑シモーヌ・ヴェイユさん。

 

不安に苛まれている僕にとって救いになるような温かい言葉が非常に多く、励まされました。

僕の不安とは、具体的に、将来にわたってお金を稼ぎ続けられるかとか、自分にはなんの才能もなくこのままなにも”意味”を残さず死んでいくのか、とか、そういうものです。

そういうものに対する救いでした。救われた言葉がいくつかあるので以下に挙げていきます。

 

まず一つ目の言葉。

「天才とは、暗い闇夜を乗り越えていく力の異名のことです」

 

これは、万人受けする言葉かどうか、僕は知らないしあまり興味もない。

僕にはひたすらに刺さった。

 

僕はエンジニアとしての目標があります。

自分のアプリを開発して、人に使ってもらい、それで自分にも経済的な恩恵(つまり成功)がもたらされる状態になりたい、というものです。

会社に属したり、他の人の依頼を受けて開発をしたりするのではなく、自分のアプリやサービスで食べていきたい。そしてそれで世の中に自分の存在を知らしめて、自分の価値を証明したい。

そんな思いがあります。

 

でも、現実はそんなにあまくない。今時点で自分のアプリで毎月大学生のアルバイト代くらいは稼げているが、一生自分が食べていったり、旅行をしたり、人生を謳歌するだけの十分な金額ではない。

さらに、いまは本業とも言える受託開発(他人のシステム開発への従事)や英語学習やブログ記事執筆に日々時間を取られて、自分一人でのアプリ開発が自分の想像の十分の一くらいのスピードでしか進んでおらず、大いにフラストレーションが溜まっている。

 

そんな中でこの「天才とは、暗い闇夜を乗り越えていく力の異名のことです」の言葉はありがたかった。救われた。

まず、天才を、先天的なものとして語っていない部分に救いがある。「暗い闇夜を乗り越えていく力」を身につけることで、天才になれるということだと解釈しています。

そして「暗い闇夜」とは、いまのぼくのような、目指すべき目標に近づきたいのに近づけていないし、進んでる方向が正しいかもわからない、でも手探りで暗闇を進んでいる、そんな状態を指しているのかなと思っています。

その状態は誰しも辛いけど、それを乗り越える力こそが天才である、というこの言葉により、いまこの闇夜の状況に耐えている自分自身が肯定された気持ちになりました。

天才と言われる人は、皆この状況を乗り越えたんだな、となんとなくイメージが喚起され、励まされました。

 

二つ目の言葉は、

と思いましたが今日は疲れたのでこの辺りで終わろう。

読者の方がいたら、適当ですみません。これは自分の思考力を深めるための、ある意味わがままなブログなので許してください。

 

興味のある方がいたら、シモーヌ・ヴェイユの本をぜひ手に取ってみてください。

以下の本がおすすめです。

 

では。

 

 

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