なぜ、文章を書くことを異常にきらっていた僕が、突然、毎日数千文字の文章を自発的に書くようになったのか?

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これまで理系人間まっしぐらで生きてきて、いまもプログラミングで生計を立てている僕にとって、文章を書くことは非常に退屈な作業であった。

「退屈な作業であった」と過去形にしているのは、最近まったく「書くこと」への捉え方が変わってきたからだ。

いまや、書くと言う行為にある種の魅力を感じ、取り憑かれている。

夜な夜なパソコンに向かい、キーボードを叩くようになった。全く文章を書いていない日は歯磨きをしないまま寝るような気持ち悪さがあり、どうにも耐えられない。

 

なぜ、文章執筆を異常にきらう筆無精の僕が、突然、筆のとりこになり、毎日数千文字の文章をだれに指図されるでもなく書くようになったのか?

小学生時代から読書感想文が大嫌いで、適当に世の中に出回ったどこぞのだれかの読書感想文をコソコソと書き写してなんとかやり過ごしてきたこの僕が、なぜ?

ピーマン嫌いの子供が、突然ピーマン大好きになるだろうか?

 

理由は明確で、人気YouTuberヒカルの「心配すんな。全部上手くいく。」という本を読み、自分に圧倒的に足りていない行為が「書くこと」だと悟ったからだ。

言い換えれば、いまの自分に足りていないコミュ力、思考力、カリスマ性、人間的魅力、といったものが、書くことによって手に入ると確信できたからだ。

この本の衝撃は以下の記事にも書いたので興味のある方はぜひ見てほしい。

人気YouTuberヒカルの「心配すんな。全部上手くいく。」を読んで衝撃が走った

 

この本を読み、「書くこと」への興味が異常に掻き立てられたので、数年間放置していてインターネット界のデブリと化していたこのブログに、ひたすら記事を書き始めた。

それとともに、もっと「書くこと」の効果を知りたくてたくさん「書くこと」に関する本を読んだ。

途中までしか読んでいないものもあるが、読んだ本を挙げると、

このあたりだ。どれも「書くこと」の魅力や、完全な素人がどうやって書いていけば効果的に書くことの恩恵を受けられるのか、また書くモチベーションをどのように維持するのかなどが書かれていて、非常にためになった。

 

そしてこれらを読む中で、「書くこと」についての重要な知見の多くが共通していることに気づいた。

その内容を以下に書き残す。

  • そもそも文章は、しっかり考えてから考えたことを書くのではなく、まず書きはじめることが非常に重要である。理由は、書くことがおっくうにならないようにするため。とにかく書き始めれば御の字と思ったら、自然と手が動く。書きながら考えを深めていけばいい。
  • 誰に読ませるために文章を書くのではなく、自分のために書くべし。きれいな文章にしなくていい。だれかに読まれることを意識すると、よそゆきのお化粧した文章になって、全然だれにも刺さらない。心の声をそのまま書き出していけばいい。驚いた、とか書かずに「うわぁぁぁ」とか書いちゃえばいい。
  • 文章を書くことで考える力が格段に伸びる。考える力が伸びると、当然会話する力も伸びる。話題にも困らなくなる。
  • 文章を書く習慣がつくと、文章を書くネタを探すために、世の中をよく観察するようになる。そうなると観察力が高まる。よく観察して、考察して、文章に起こしていくことで、他の人にはない独自の視点が育まれる。

これらは、複数の本を読んだ上で、僕の独断と偏見で抽出した重要なポイントだ。

 

いまにして思えば、過去の偉人だって文章を書いてた。偉人というかカリスマと言われる人々だ。カリスマが、言葉を巧みに操れないなんて、考えられないだろう。

周りの人から「このひとなにいってるの?」「この人の考え浅いな〜」とか思われているカリスマなんていないでしょう。

 

例えばユリウス=カエサルはガリア戦記を書いたし、ヒトラーは我が闘争を書いた。

キリストやブッダ、孔子あたりは、文章を書いたというより弟子が聖書なり論語なりを書き起こした様子だが、まぁ誰が書き起こしたにしろ、書いたと同等の作業をしているといっていいと思う。(ここでは口述筆記をイメージしているが実際は違うかも。まぁ言葉が巧みだったことは間違いないでしょう。)

現代でも、マツコデラックスはコラムニストだし、ヒカルや与沢翼などの魅力的な言葉を発する人は情報商材を売るための文章をセコセコ書いていたわけで。(ぼったくり商材を肯定する意図はない)

 

つまり、カリスマというか、他人を惹きつけるため人間になるために、言葉の力が不可欠で、そのために「書く作業」が最適なんだと結論づけていいと思う。

もちろん、書くことをしていなくても、自然に身につけた人間的魅力や圧倒的な実績(大谷翔平的な)によって他人を魅了することができる選ばれし人間もいる。

一方で、選ばれし人間ではない、と薄々勘付いている人は、別に肩を落とす必要もなく、ひたすら書く習慣をつけていけば良いのだ。

僕は30代になってようやく自分のカリスマ性の無さ、言語化能力の弱さ、対人スキルの低さに気づいて、割とうちひしがれていたので、この事実に気づかされてすごく気分が明るくなった。

 

日頃なんとなく会話しているだけでは決して到達できない言語能力の高みに至れるんだよ。やるしかないでしょ。

言語能力の高みに至れば、どう考えても、仕事、恋愛、人付き合いにおいて有利だし、自己肯定感もマックスまで上がるし、なによりいろんな人と臆さずに関われるようになって最高に人生が花開くはず。

 

ましてや、フルリモートで働ける時代。

人との関わりも薄くますますコミュニケーション能力が自然には上がっていかないので、なおさら書く習慣をつけるといいとおもう。

 

完。

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